視界をさえぎるビルは見当たらない。だだっ広い空の下には、近隣の住宅と田畑と休耕地のブタクサが広がっている。浜松市の郊外にあるファブラボ浜松は、農家の元農機具倉庫をDIYで魔改造して作られたファブスペースだ。
ここで廣瀬は、この世に2つとない、立体編み物を造形する「ソリッド編み機」を開発をしている。東京出身の廣瀬は、浜松の会社に勤務するメカエンジニアだった。編み機に人生を賭けて一念発起、会社を辞めて開発に専念しているのだという。
3Dデータから造形物を出力する機械と言えば、3Dプリンターだ。熱で溶かしたフィラメントを垂らしてにゅるりと形づくる、あるいは薄く平たい層を幾重にも重ねることで形づくる。
「3Dプリンターって、データはデジタルでも材料は粘土みたいなもので、工程はすごくアナログですよね。その点、編み物は編み目で分割されているのでデジタルです。編み目があるのが1なら、編み目なしは0。世の中の編み図(記号で表現される製作手順図)はビットマップ画像みたいだし、ソースコードのように表現される編み図もあるんですよ」
1本の糸から編まれる編み物はおしまいに結び目を作って仕上げられるが、その結び目をといて引っ張ればツーッとほどけ、また1本の糸に戻る。セーターをほどいてマフラーに編み替えて、毛糸を足して新しいデザインに改変して。
「本質的にデジタルである編み物は、気に入らなかったらソフトウェアの[Ctrl+z]のようにアンドゥできます。アップデートで別の機能を持つものに改変もできます」
おぉ! 長ーい糸(まったくアナログ的)を使う編み物は、実はデジタル的だったのか! 廣瀬が「おぉ!」と気づいたのは7~8年前、慶應大学環境情報学部(SFC)の田中浩也研究室に所属していた学生の時だった。田中研はデジタルファブリケーションの研究をしている。各種デジタル工作機器を身近に、ファブ技術を探索しているうち、「編み物のデジタルな性質をうまく引き出せないか」と考えるようになっていた。
修士2年の時には、まったくオリジナルの「ソリッド編み」を考案した。
「ソリッド編み」は、中身の詰まった立体編みになっている。通常の編み物でも立体物をつくることはできるが、それは中身が詰まっていない「面」であるためふにゃふにゃのやわらかい布地しかつくることができない。「この「面」を積層させれば固い立体物ができるんでしょ」と発想して、廣瀬は「メリヤス編み」という編み技法を応用、3Dメリヤス編みで中実な(ソリッドな)物体を実現させた。
「糸を細くすると、つまりは解像度が上がると、パーツに使えるようになるはずです。例えば、世の中のほとんどのTシャツは細い糸を使った編み物なのですが、細かすぎて編み物というかんじがしないですよね。あんな風に、プラスチックのように固そうでよく見るとソリッド編み、将来的にはほどいてアップデートできる改変可能なもの、そんなものが作りたいなと思いました」
iPhoneXに買い換えたらiPhone8のカバーが使えない──ほどいて作り変える。家族が増えた──ソファの座面を広げる、テーブルの形を変える。日常生活のシーンにはいくらでも応用先がありそうだ。「究極的に資源不足の状況、例えば宇宙ステーションで足りないパーツを別のパーツからほどいて作る、というのはどうでしょう?」と、廣瀬。
2013年の時点で到達できたのは、ソリッド編みの手編み技法と、ソフトウェアによる編み図への変換までだった。「最終的なゴールはアップデートできる状況を作り出すこと。そのためには編み/ほどきの自動化が必要」と、当初から機械製作も構想されていたが、廣瀬にはスキルも時間も足りなかった。
その後廣瀬は、浜松市に本社を構える3D工作・加工機械メーカー(ローランドディー.ジー.)に就職、メカエンジニアとして働き出す。廣瀬にとって理想的な環境での仕事だったが、どうしても自分のものづくりに取り組みたい思いは止めがたい。
2018年に退社。ソリッド編み機作りが、本格的に始まった。
「ソリッド編みは、1層目の編み目に反対側からもう一度糸を入れて次の層の編み目を作り、層を重ねていきます。できている編み目に“無理やり”糸を通すような編み方なんです。一般の編み機では、編みあげた編み地はそのまま垂らしていけばよいのですが、ソリッド編み機では編み地を保持しなくてはなりません。しかも反対側からも編むので、針を反対側にもう1セット用意する必要もあります」
使っているのは、自動編み機で使われる「ベラ針」。先端のカギ部に開閉する「ベラ」が付いていて、カギに引っかけた糸をベラを開閉しながら出し入れして編み目を作ったり、編み目を別の針に移したりができる。
「ベラ針をどう動かして編んでいくか。これはもう、カラクリ機構です。カラクリを考えるのが難しくもあり、楽しくもあるという感じで進めてきました」
「高度な画像認識や人の手のように器用に動くロボットがあれば大げさな機械ができるかもしれない。ただ、それだと人の手で編んだときと同じくらい編むのに時間がかかってしまいますし、それだけのすばらしい技術は別の分野に用いたほうが活躍できるだろうし、お金にもなると思います」
2018年末までは、まったくダメだった。2019年になって手動で編めるようになってきた。まだモーターで動かすまではいけていない。編み地にツメを引っかけて編み目の位置をコントロールする「羽型ホルダー」は、糸が絡みやすい。
「テンションを手加減で調節するとうまくいくんですけどね……。モーターで動かしても安定動作するように、そこにある切削機で毎日、羽型ホルダーを作っては試し、作っては試し、やってます」
「あと2か月でモーターを付けて動かす」と、廣瀬は言った。
廣瀬は、独力で開発するフェーズはここまで、とも考えている。ここから先は、各分野のスペシャリストたちと協力しあいたいとプランを立てているのだ。
まず、化学や材料工学。素材の糸は、もっと微細なものを使ってみたい。熱や化学変化で弾性や剛性が変化するものはないだろうか。精度と硬度がより高い立体物を編みたいのだ。
この試作機を、高性能な製品に仕上げていくために機械工学の専門家や投資家の助力も欲しい。機械には特殊な編み方をサポートするソフトウェアも搭載したいところ。
「カーネギーメロン大学のTextiles Labには編み物を研究しているチームがいて、3Dデータを編み機が理解できる言語に変換し、立体物を編むことができるソフトウェアを開発しているようです。編み機が完成したら動画にして送ってみようと考えています」
直近でも、現在の解像度(今の糸の太さ)でできる作品づくりをデザイナーと同時進行させている。一度は、クレーンやドローンでソリッド編みを披露する超大型パフォーマンスに挑戦してみたくあり(ソリッド編み機は高さ方向には無限に編みつづけることができる)、もっと実用的に、建築系や医療系での用途も模索したくあり。
浜松の工房でのたった一人の開発が終わったら、廣瀬のプレゼンテーションは各地に飛んでいくことになるだろう。
「ソリッド編みの開発を続けているのは、『あ、コレのためにずっと開発していたんだ!』という“コレ”に出会いたいからです。僕はまだそういうものを思い付いていないし、出会ってもいないんです」
「ソリッド編みがあったことで誰かがものすごく幸せになったり、ものすごい問題が解決できたりしたらいいと思うし、そういうシーンに出会ってみたい。作っても、出会えないかもしれないです。けれど、作らずに、『あの時に作ってればどうだったかな』と思いながら一生を終えたくはないんです。このまま死にたくない──そんな感じでやってます」
プロフィール
廣瀬悠一(ひろせ・ゆういち)
慶應義塾大学田中浩也研究室にてデジタル・ファブリケーションの研究を行う。修士課程修了後、ローランド ディー.ジー.株式会社でメカエンジニアとして3D切削機等の開発に携わったのちに退職。現在は主にファブラボ浜松を拠点とし、自ら考案した3Dデータから中身の詰まった立体物を編む手法「ソリッド編み」を自動化する機械「ソリッド編み機」を開発中。
関連URL:
http://www.kri.sfc.keio.ac.jp/report/mori/2013/c-022/