江草 宏は、歯科医であり大学院歯学研究科の教授も務める、歯科のエキスパート。「iPS細胞の腫瘍化を回避した骨再生治療への挑戦」というテーマで、2019年度「破壊的な挑戦部門」の挑戦者に選ばれた。iPS細胞から骨を回復させる力をもった細胞を作ることで、特に再生治療が難しい口腔内などの骨を再生させることを目指している。この技術が実用化されると、顎の骨がない患者にもインプラント治療ができるようになるほか、骨折したときの治癒期間が短縮されるといった効果が期待されており、歯科・外科治療に新たな進展をもたらす。
江草の研究の原点は、歯学部の学生時代にさかのぼる。歯科医師になるためにマスターすべき技術のひとつに、「いかにうまい入れ歯を作るか」があり、その技術を身に付けるために歯学部の学生は厳しいトレーニングを受ける。歯を失ったあとの状態は個人差が大きく、その個人差を見極めながら適切な入れ歯を作れるようにならなければならない。
「患者さんにピッタリと合う入れ歯を作るには、高い技術が求められます。私はそのトレーニングを受けているなか、入れ歯をうまく作る技術も必要ですが、患者さんのなくなった歯や歯茎、顎の骨を元通りにすることができればそんなことは必要ないんじゃないかと感じていました」と江草は振り返る。
ただもちろん、1990年代に患者の「歯や歯茎、顎の骨を元通りにする」ことは技術的に難しかった。その状況が2006年、京都大学・山中伸弥教授がiPS細胞の作製に成功したことで大きく変わる。江草は山中教授らと共同で研究を行い、世界で初めて、歯科治療後に廃棄されていた歯茎からiPS細胞を作製することに成功。iPS細胞の、歯科治療への応用を進めた。
しかし、そこには壁が待ち受けていた。iPS細胞は、簡単に言うとあらゆる細胞に変化することのできる細胞である。変化できる幅が大きいだけに、制御できなければ腫瘍ができてしまうなど、期待していない結果を生むことになる。「これはもう、生命の神秘としか言いようのない部分で、iPS細胞というできたばかりの新しいものを制御するには、まだまだわからないことがたくさんあります」というのが現実だが、江草は異能vationプログラムでその神秘の領域に挑んだ。
次回は、異能vationプログラム中の活動について話を聞く。